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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)1057号 判決 1995年1月24日

上告人

小野喬也

右訴訟代理人弁護士

行木武利

被上告人

小野紘志

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人行木武利の上告理由について

本件遺言により上告人に本件各不動産の遺贈があったとは解されないとした原審の判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。原審の適法に確定したところによれば、本件遺言は、本件各不動産を相続人である上告人に相続させる旨の遺言であり、本件遺言により、上告人は小野保治の死亡の時に相続により本件各不動産の所有権を取得したものというべきである(最高裁平成元年(オ)第一七四号同三年四月一九日第二小法廷判決・民集四五巻四号四七七頁参照)。そして、特定の不動産を特定の相続人甲に相続させる旨の遺言により、甲が被相続人の死亡とともに相続により当該不動産の所有権を取得した場合には、甲が単独でその旨の所有権移転登記手続をすることができ、遺言執行者は、遺言の執行として右の登記手続をする義務を負うものではない。これと同旨の見解を前提として上告人の請求を排斥した原審の判断は正当として是認することができ、その過程にも所論の違法は認められない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官園部逸夫 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告代理人行木武利の上告理由

原判決には、以下に述べるように、法令の解釈を誤り、経験則に違背し、審理不尽、理由不備の違法があるため、これが判決の主文に影響を及ぼすことは明らかであるので破棄を免れない。

一 原判決は、本件遺言に「相続させる」との記載がなされていることから、遺言執行者による登記手続を待つまでもなく上告人が単独で自己名義の所有権移転登記をなし得たことを理由に、かかる登記手続は本来遺言執行者の義務と目すべき行為ではなく、したがって、その不作為について被上告人に対して責任を問うこともできないとする。しかし、上告人が仮に右のような自己名義への登記申請をして、それが受理されたとしても、それは、登記手続上そのような扱いがなされているというにすぎない。即ち、遺言執行者が選任されているときは遺言執行者が登記手続をなすべきものとする結論を否定する理由となるものではない。このことは、現行法の建前として不動産の権利に関する登記が申請された場合、登記官には形式的審査権しか認められていないことに由来する。なぜなら、相続人から相続を原因とする不動産の所有権移転登記の申請がなされた場合、登記官としては、遺言執行者が存在するかどうか調査することもできず、そのまま受理せざるをえない。原判決の指摘する昭和四七年四月一七日民事甲第一四四二号法務省民事局長通達も右の趣旨から理解すべきものであって、同通達は、遺言執行者が選任されている場合については何ら回答していないのである。したがって、同通達は、遺言執行者が本来的には相続登記をなすべきものとする考え方を否定するものではなく、また、遺言執行者としての登記手続義務を免除する根拠になりうるものでもない。

二 仮に、原判決の論理に従うとすれば、遺言執行者以外の者がなしうる行為は、遺言執行者の義務に属する事柄ではないということになる。換言すれば、相続に関する一定の行為は、遺言執行者またはその他の第三者のいずれか一方しか担当しえないこととなろう。だからこそ、遺言執行者以外の者が行える行為は、遺言執行者が全く怠っていても、それは初めから遺言執行職務とは無関係のことであるから義務違反の問題は生じないとする原判決の結論が導かれることになるのである。

しかし、このような遺言執行者の義務を狭く限定すべき根拠は全くない。例えば、遺産の管理は遺言執行者として当然なすべきことであるが、相続人としても自己に直接利害の関係することであるから、相続人が遺産の損傷を防ぐために何らかの保存行為を行ったとしても、それによって遺言執行者の権限を侵害したと見る必要もない。また、相続人が保存ないし管理行為を行えるからとの理由で保存・管理行為が遺言執行者の義務に属しないともいえないはずである。

要するに、相続に関する一定の行為が遺言執行者とそれ以外の者の双方に帰属する場合も否定しえないのであり、したがって、仮に遺言執行者が存在する場合に相続人が登記申請を有効になしうるとしても、やはり、遺言執行者に登記手続義務を免除する理由にはならないのである。

三 右のとおり、本件において被上告人が上告人のために登記手続をなすべき義務を負担していることは明らかであるが、このことは、「相続させる」という遺言書の文言の解釈からも導くことができる。

既にこれまで多くの議論がなされているとおり、「相続させる」との文言をどのように解するかにつき、これを相続分の指定を含む遺産分割方法の指定と解する見解があり、原判決は(必ずしも明確ではないが)、この立場に従うかのようである。しかし、これが通常の遺言者の意思に反するものであることは明らかであり、この場合は、実質的には遺贈の趣旨に解しなければならない。(相続分の指定を含む遺産分割方法の指定と解する立場に立った場合の不合理な諸点については、橘勝治「遺産分割事件と遺言書の取扱い」(現代家族法体系5五八頁。特に六六頁参照)に詳しく指摘されている。)。

現時点において公正証書で遺言を作成しようとする者が、特定の不動産を特定の相続人に渡そうとするときは、仮に、その遺言者が事前に遺言書の案文で「特定の不動産を特定の相続人に遺贈する」旨の記載をしていたとしても、殆どすべての公証人は、これを「相続させる」と改めるよう勧める。その理由としていくつかの点が指摘されているが、公証人から最もしばしば説明される理由は、その不動産の移転登記をするときの登録免許税の違いである。即ち、その遺言の実体が相続ではなく遺贈であることは、遺言者はもちろん、公証人自身も十分に認識しているのであって、ただ、登記原因の形式を相続としている(いわば登記原因を借用している)にすぎないことは、遺言の作成に関与したことのある者にとってはあまりにも当然の常識なのである。遺言者から事情を聴取し、最も遺言者の意思に合致して、しかも相続人にとっても最も有利な遺言書の案文を検討し、公証人と打ち合わせた上で「相続させる」との遺言書を作成するという経験を有しない原審が、かかる常識を理解できないだけのことといえよう。

右のとおり、「相続させる」との遺言の実体は、遺贈である。したがって、本件においても、相続登記は上告人と被上告人の共同申請で行わなければならない。しかるに被上告人は、この登記手続を怠り、そのために上告人に多大の損失を蒙らしめたことは明らかであるから、その損害は賠償されなければならない。したがって、かかる損害及び因果関係を否定した原判決は、破棄されてしかるべきである。

四 仮に、「相続させる」との文言が原審の指摘するとおり相続分の指定を伴う遺産分割方法の指定であるとしても、常にそのように解すべきものではない。なぜなら、遺言書の他の記載部分を含めて総合的に解釈すれば、なお、遺贈と解すべき場合もあるからである。

前述したとおり、遺言者の通常の意思は、早期に特定の物件を特定の相続人に帰属させることにある。したがって、仮に遺言者が単なる遺贈ではなく、更に進んで遺産全体の分割までも考慮していたとすれば、即ち、その遺言で遺産分割方法の指定までも意図していたとしたら、すべての遺産を摘示し、すべての相続人に対して遺産の帰属を明記していたはずである。そうせずに、特定の遺産を特定の相続人に帰属させることのみしか遺言していなかったとすれば、その他の遺産をその他の相続人にどのように帰属させるかについては、全く考慮していなかったと解しなければならない。したがって、この場合は、特定の遺産を特定の相続人に帰属させるのみで、その他の遺産は、相続人間の協議ないし審判で分割すべきことになる。

これを要するに、すべての遺産をすべての相続人に分配していれば、その遺言書が「相続させる」と記載されていても、それは相続分の指定を伴う分割方法の指定と解する余地はあるが、特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」と記載してある場合は、本来の遺言者の意思に従い、遺贈と解すべきである。

本件では、特定の遺産を上告人に「相続させる」と記載されているのみであるから、その実体は遺贈である。したがって、被上告人は相続による登記手続を行うべき義務を負担していたのであり、これを否定した原判決は、破棄されなければならない。

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